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道徳の価値と意義
制作&語り 白井勝文
人がこの世で生活をしていくうえにおいて、道徳を身につけると言う事はどんな
意味がありまた、どのような価値があるものだろうか。
では始めに、道徳を身につける環境と時期について、考えてみたいと思います。
しかしその前に、道徳と言うものを身に付けるには、その基礎となる躾の教育が
先ずは必要になります。この躾の教育が為されていなければ、それより高等な道
徳と言うもは、受け入れにくいものと、なってしまうからなのです。
もの事には順序と言うものがあります。
それは一般の学校教育と同じように、小学校から大学まで、それぞれの教育課程を
修了してから、進学するのと同じ事なのです。
例えてみますと。
1−小学校の教科は躾に例えられます
2−中学校の教科は道徳に例えられます
3−高校の教科は宗教に例えられます
4−大学の教科は哲学に例えられます
昔から三つ子の魂百までと言う諺がありますが、三歳児から育児教育として躾を
教える事は非常に重要な事なのです。
でも三歳児からしつける項目は、多くを望む事はできません。
そこで最低限一つだけは、絶対に躾けなければならない事項があります。
それは
「他人に迷惑をかけない」
この、「他人に迷惑をかけない」と言う事がその後、その人の長〜い人生の中で、
人と人とが関わり合って生きていく上で、非常に重要な要素となっていくのです。
自分だけにかかわる事はさておいても、とにかく他人様には迷惑だけは掛けないと
言う、最低限度のことを躾ける事が、親として重要な責任なのです。
そしてまた、この躾には大きく分けて、二つの事柄(観点)がある事を知ってお
いて下さい。それは
1−自らの美しい振る舞いを身に付ける作法(マナー)
2−相手に迷惑をかけず好感を与える礼儀(エチケット)
一つ目の作法とは、普段の言葉使いや立ち振る舞いの美しさを、身に付ける事です。
二つ目の礼儀は、相手に対する言葉使いや態度で好感を与え、迷惑をかけな
い事です。
この躾と言うものは、規則をもって集団生活をする、小学校に入る前に、家庭で行う
重要な、幼児教育と言うものです。
また躾けは、子供が親に付きまとう時から、そのつど教え込む事が大事な事で、
それに、親としても子供を躾ける事で逆に、親が子供に躾けられる面も、持っている
のです。
さて、最低限「他人に迷惑をかけない」と言う躾ができれば、次はいよいよ道徳の世
界にはいっていきます。
道徳の講演としてすでに私は、「なぜ道徳が必要なのか」「人間の能力について」の二
つの項目についてお話をして参りました。
今回は道徳的価値と言うものは、どんなものかと言うことを、をお話ししたいと思います。
では、その前に人間とはいったいどんな存在なのかを、まず考えて頂きたいと思います。
その答えは別の生き方講座「この世で生きる目的は何か」のなかですでに一部お話をいた
しております。
人間とは「じんかん」と言い、ある間に存在する、状態のことを言うのです。
それは
1−人間を、動物として捉えた状態の存在(物質的存在)
2−人間を、高度な精神性を持った状態の存在(精神的存在)
このように、人間を動物としてとらえた状態と、高度な精神性を持った状態の、
二つの間にある存在だから、人間(じんかん)というのです。
この、精神的に目覚め、高度な精神性を持った人間になる為の、絶対必要な条件
の一つが、道徳を身に付けることなのです。
一般的に精神性と言うものは、今の学校で学ぶ教科には出来きません、それでも
昔は、修身とか道徳の時間と言った中で、教えられておりました。しかし今では、
多くの学校が、道徳の時間を持たない現実となってしまいました。
誰でも学ばなければならない、人間性を築き上げる為の重要な教えが、消えてし
まったのです。
人が世の中で生きていくためには、二つの能力が必要ですそれは、一般的教養と
精神的素養の二です。
それは
1−一般的教養(学校で学ぶ教科で、社会で生きていく為の知識)
2−精神的素養(思いやり、やさしさ、忍耐、寛容)
この様に、人間に求められる能力としては、この世で生きていく為の一般的教養と、
人と人が関わり合って生きていきながら身に付ける、思いやり、やさしさ、いたわり、
忍耐、寛容などの精神的素養があるのです。
そしてこの精神的素養こそが、人間性を推し量る重要な価値なのです。
ところが今のように、物質的繁栄や便利さが幸せの基準であると言った、物質至上主義
の社会にあっては、知的教養だけがことさら以上に、価値あるものとされています。
しかし、人間が社会生活をして行く上でもっとも大切な、他人への思いやり、やさしさ、
ゆるす心などの、道徳性を身に付ける精神的素養こそが重要なのです。
この道徳性を柱とする、精神的活動が軽んじられている為に今や、目に余る悲惨な事件や
破廉恥な行為が毎日、平気で行われるような社会になってしまったのです。
外観上ではみな同じ人間の形はしていても、精神的活動いかんによっては、それは動物以
下のおぞましい、醜い人間の姿となっているのです。
もうそろそろここらで、道徳を重んじる生き方の、方向転換が必要な時が来たと
思います。
それでは先ず、あなた自身一人でも今日から、道徳的価値の重要性を認識して、
行動していってください。
制作&語り白井勝文
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